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『東洋経済、セガは任天堂と北米で互角の争いをした時代があったとした記事』が掲載中。

東洋経済、セガは任天堂と北米で互角の争いをした時代があったとした記事が掲載中。セガVS任天堂という海外で出版された本が元になっていて、そこから読み取れるものになっていますね。






1. ゲーム:任天堂に対して完全な差別化を図れるゲームで差をつける。具体的にはマリオに対抗するセガの顔『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』をハードに同梱し無料で提供する。2. 価格:3000万世帯が購入しているファミコンに対抗するため、価格を大きく下げる。3. マーケティング:子供層を奪うのは諦め、最先端でクールなブランドとしてイメージを売り込み、ティーンや大人を対象とする。4. 開発:日本でゲームをつくるとどうしてもアメリカでは弱いので、アメリカを最初から対象としたゲームを開発する必要がある──と戦略のお手本のようなシナリオだ。

結果だけみると、こうしたすべての項目がアメリカでは有機的に結びついて機能しているように思える。ソニックはマリオとは別の顔として機能し、無料で同梱されたソフトのおかげでアメリカではソニック旋風が吹き荒れた。マーケティングでは任天堂との対決姿勢を前面に押し出し、ファミコンを子供のおもちゃと位置づけ批判的に提示し、ソニックvsマリオをイメージ付けるだけでなく、数々のCM──セールスマンがスーパーファミコンを売りつけようとしているが、顧客の方はジェネシスから眼が離せないでいる──を作るなど、挑発的な施策を打っていった。

“コンシューマ・エレクトロニクス・ショーでも、セガは超クールな青いハリネズミとマリオを公衆の門前で競わせるという大胆な行動に出たが、任天堂は何の反応も示さなかった。セガはこの比較広告的な手法を全米各地のキャンペーンでも実施したが、それでも任天堂は何の対策も講じなかったのである。その後のクリスマス商戦の期間中、セガは攻撃レベルを一段上げて中傷広告を流したり、マスコミに数字を誇張して伝えたりし始めた。”

これの凄いところは、挑発的なCMの制作などについては、却下される可能性から日本側に内緒で進めていたことで、SOAとセガ日本本社は事実上"別の組織"として機能していることだ。

それが結果的にはアメリカでの大成功に繋がるのだが、特別なヒットにはならなかった日本側からすればまったくもって面白くない。ニンテンドー・オブ・アメリカを任天堂社長である山内氏の義理の息子の荒川氏が務めており、心理的な距離が近かった状況とは対照的であるし(これが無条件によかったわけでもないが)、最終的にその事が(SOAにとって)悲劇に繋がっていく。

その後もカリンスキーはマーケティングの腕を見事発揮してみせる。ソニックの2を印象づけるために『ソニック2ズデー』としてさまざまなキャンペーンを開催。世界初の製品の世界同時発売など刺激的かつ効果的な策を次々と打つ。セガに対してあまり表立っては抵抗してこなかった任天堂も、ついに大胆な値下げを敢行し、セガは「反任天堂同盟」を各企業と結び、久夛良木健がソニーでその存在感を示し始め──と群雄割拠/本格的な覇権戦争の時代へと移行していく。

同時に、セガ/カリンスキーはどんどん策を打つ。電話回線の代わりにケーブルを使った「セガチャンネル」というゲームオンデマンドサービスを立ち上げようとし、ソニックを主人公としたアニメを企画し、映画とゲームの融合が進みつつある状況に対応するためマルチメディアスタジオを開設するように促し、ディズニー作品のゲーム化権を獲得し、VRゴーグルを開発し──とよく言われるように、セガはすでにこの時からいくつもの面で時代を先取りしすぎていたのだ。

しかし、セガの凋落もここから始まるのであった……。


・・・と時代を先取りしすぎるセガの暴走はこの時代からあったとしていて、日本ではメガモデムやゲームギアなどがありましたね。メガドライブはスーパーファミコンが発売がのびに延びただけに、その代わりとして買う人も多く、PCエンジンと覇権を争っていましたが、北米ではソニックで爆発的に売れたメガドライブ(ジェネシス)がスーパーファミコン(NES)に牙を向いて戦った80年代後半~90年代の話ですね。この頃のゲーム業界はある意味面白いものでしたね。


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